連作5 表紙 (承前)

「一介の素人がこんなこといって、えらそうなんだけど」と礼子さんが言った。
「なにを遠慮してるのよ。玄人の方がかえって気がつかないことってあるわよ」と田嶋さんが言った。
「うん、今度ね、来年の『賢治手帖』の表紙を選んでくれと言われてね、探し回ったんだけど、わかんなくなっちゃのよ。猫やウサギやふくろうなどの動物が飛び回っている布を選んだりするけど、実際に賢治の童話や詩のなかにはあまり出てこないのよね。出てきたとしてもそんなに楽しそうではないわ。それにピッタリの布なんてないのは当然なんだけど、まったく関係ない布で表紙にしてもおもしろくない」

「だいいち、みんなに「どうしてこれが賢治よ」って文句いわれるのがオチね」
「唐突だけど、『ノルウエーの森』の表紙ってあまり好きじゃないのよね。内容そのものって気がするの。
村上春樹自身が考えたらしいけど、内容につきすぎていると。
そうなんだとは思うけど、それだけという気がするの」

「自分がやるとそうなる傾向ってないかしら。内容のテーマを表紙にも表現したくなる。他人が担当すると、内容から得た印象をその人なりに表紙にこめる。著者にとっては、ちょっと違うのかなと感じたとしてもその距離というのは緊張感があって私は好きだけど。漱石が橋口五葉の装丁を任せていたけど、ちょっと不満があって、近作の『こころ』は自分でやったそうだけど、漱石の教養が出過ぎていて私はあまりいいとは思わない」
「なんだかなにも知らないくせにえらそうな物言いだななんて言われそうだけど」

「そうは思わないわ。その本を手にして読むのは装丁の素人なんだから、その素人をうならせるようなものを作らなくてはいけないのがプロの務めよ。
「それで、無難なこの猫の表紙になったわけ。それもなかなかみつからなくってさ、最後に近くの綿紬の工房に行ったらあったわ。ホンとはね、そこに青が基調の縞木綿があったんだけど、それもまたひとりよがりな選択になってしまうと思って諦めた」
by hontokami | 2012-10-12 20:11 | 『本を作る』 | Comments(4)

連作4 定規(承前)

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昼休み、山下と近くのショッピングセンターの食堂に行った。
山下はいま日本語入力のキーボード開発に取り組んでいる。あと少しのところでその開発が止まっている。

「たとえば、「きょう」と打ち込んで「けふ」と出したいときもある。それをすべての日本語に適用するとなると日本語の歴史を古代語にまで遡ってその法則性を導きださないといけないのだけど、どうも法則性がないような気がするんだ。もともと理科系の自分には無理なような気がする」

「今の日本語文法だって諸説あって難しいからね」
「うん、会社もいつまでもそれに開発費をつぎこむわけにもいかず、室長はそろそろ撤退かなと言ってる」
「ことばっていうのはもともと抽象的なもので、コンピュータだって基本的には抽象の数字の世界だから、解決できないことないと素人判断では思うけど、そう簡単なもんじゃないんだね」

「そこに歴史性という現実がはいりこんでくるからね。人間が法則通り言葉を使ってくれれば簡単なんだけど、実際には現実の言葉遣いに後追いして法則がつくられているんだ」
「コンピュータがいちばん苦手とするとろだね」

「先生が紙やボール紙を断裁するときに、鉛筆で線を引いたり、印をつけてはいけないと注意してるでしょう」
「それとこれとどういう関係があるの?」
「直線とか点というのはもともと抽象的なものだからそれに鉛筆で印をつけるとどうしても現実的な幅が生じてしまい、その幅のどこを断裁するかで誤差が生まれる。それが度重なると結果として本のゆがみになっていく」
「うん。そのゆがみを最小限に止めるためには方眼定規二つを使って直接切っていく。そうか、抽象と現実の狭間ということだね。そろそろ戻ろうか。そのはなし、またあとで聞きたい」 
by hontokami | 2012-10-06 15:35 | 『本を作る』 | Comments(2)

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「今日はここの5人で「賢治手帖」を100冊作りましょう。2013年度版の表紙の布はこれに決めました」
 先生は緑色の地に猫と鳥が跳ねている布を広げた。
「それ一枚だけですか。いつもは数種類あったとおもうのですが」
「そう。これだけ。今年も礼子さんが数日かけて布屋さんめぐりをしてくれた。なかなかいいのがなくて最後にこれがみつかった。僕はこのデザイン気に入っている。Cats & Birds という名前がついているよ」
「なかなかいいと思うわ」
 と田嶋さんが言った。
「迷わなくていいね」
 と私が言った。
「さて、段取りを決めよう。もう印刷と仕訳はすんでいるので、一折中とじ、断裁、本文に合わせて地券紙を切り、それに布を張り、本文と合わせる、最後にプレスだ。今回も気をつけてほしいことは100冊みんな同じサイズにするということだ」
「こういう分担でどうでしょう」と私は言った。
「まず5人で糸とじをする。そのあと化粧断ちを山下と私、地券紙の断裁を礼子さん。布の裁断を田嶋さん、張り合わせと本文との合体は全員で」 

「寸法はチリが1mm出るようにした。黒板に書いてあるように本文14.5×10.2cm 地券紙14.7× 21cmとしたので正確に切ってほしい。地券紙は半分に折って14.7×10.5㎝で切ってもいいよ。それは2人の判断でしてください。くれぐれも切り間違いのないように」
 と先生が言った。山下が質問した。
「先生、その寸法だと縦は1mmのチリが出ますが横はちょっと長くはないでしょうか」
「そうだね、背の丸みの部分をどれだけ取るのかで違ってくる。それで実際に当ててみて取ったらこうなった」
「わかりました。それって厚みによって変わってくるんですね。なんか計算式で出せないんでしょうか?」
 と山下が言った。先生は言った。
「出せそうだね。だけどそれが僕のいちばん苦手なことぐらいわかっているでしょう」
みんなは笑った。先生はいまだにハードカバーの本の溝の寸法とチリ出しの関係がよくつかめず、ダミーを作って寸法取りをしている。
 こんどは礼子さんが言った。
「地券紙はボンドを塗ると当然ちょっと伸びますよね。そのことは計算されたのでしょうか」
「それは計算していない。というか伸びは計算できない。だから実際にはチリは1.5mmぐらいになるかもしれないね」

 仕事場は2階だ。例年になく残暑が厳しくてまだエアコンが入っている部屋に日差しが深く入ってきている。
 無言の作業が始まった。先生はいつのまにかいなくなっていた。
  
by hontokami | 2012-10-05 08:30 | 『本を作る』 | Comments(0)

連作2 「一折中とじ」

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「ほら、背に出た糸がこんなにきれいに一直線になったよ」
 と山下が私に見せてくれた。山折りの背に藤色の糸が規則正しく走っている。
「これを表紙でくるんでしまうは残念だね。目打ちを打つときに正確に打ったの」
「うん、いつだって正確に打っているんだけどね、それが微妙に揺れるんだ。それでも本文の中央部は半分に折るから自然にまっすぐになるんだけど、背の山のところは見事にはずれる。これはたまたまうまくいっただけだけどね」

「機械製本だとたとえ背のところでもまっすぐにいくんだろうね。ああ、それでね、いつも思うんだけど
機械だときれいに綴じができるけど、それでは手作りの味わいが出ないと言う。でもさあ、下手に作れば味わいが出るというものでもないでしょう」
「それってよくわからないね。前に近所の小学生にこの一折中とじ手帳を教えたこと、話したよね。下手だけどなんとも言えない味わいがあるんだよ」

「それは一年生の子が慣れない糸と針ではじめて作ったという感動のようなものが入っているからじゃないのかな。君が同じようなものを作ったとしたら醜悪そのものだし、たぶん真似できない」
「わざと下手に書いたり描いたりするのは、イヤだね」
「絵手紙とかね。いや、これは誤解招くな。取り消し」
「ああいう筆の持ち方をするというのは、わざと下手に描くことを奨励しているようなもんだよ」
「あとね、自分は下手だから、もう少し上手になったら見てください、というのもヤだね。じゃあ、いつ見せてくれるんだよ」

「なんだか中とじの自慢がが変な方向に行ってしまったなあ」
「いつもそうだよ」
by hontokami | 2012-10-03 21:31 | 『本を作る』 | Comments(2)

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「お昼にどこか食べにいかないか」
 珍しく先生が声をかけてくれた。
「パスタがおいしいお店があります」
 
 その日、先生はたくさん話をしてくれた。
「手製本というのは、どうしてもカッターで断裁することが多くなるけど、直角にまっすぐ切るというのは結構難しいだろう」
「いつもそう思います。まっすぐに正確に測って裁断したつもりでも、なぜか微妙に狂っているんです。表紙なんか表と裏表紙がぴったり同じだと思っても、こう180度回転させて合わせるとあっていないんですよ」
 私は手で実演してみせた。先生はにこやかに笑いながら食後のコーヒーをひとくち飲んだ。
「そういうときどうするの」
「ピッタリ合う組み合わせにして、進めます」
「そうすると、中の本文が同じように歪んでいないと困るよね。本文を表紙にあわせて同じように歪ませるのは難しいんじゃないかな」
「そうなんですよ。チリの部分が同じにならないのです。そういうときはやはりやり直したほうがいいのでしょうか」

「それも勇気がいるはなしだね。でも僕はやり直すことにしているよ。その一番の原因はね、紙やボール紙が直角になっていないことなんだと思う。たとえば買ってきたケントボード紙は四つの角が直角になっているのは当然と思っているよね。それでも念のため、確認した方がいいんだ。ましてや、家にあった紙を使うときは直角を決めてから断裁する癖を付けておくことだね。すべてはそこから始まるんじゃないかな」
「直線というのも難しいですね。見返し用紙などまっすぐ定規に沿って切ったつもりが、なんとなく微妙に撓んでいたりします。気がついてもう一回やりなおしたりします」

「同じ紙を切るときはいいのだけれど、そこに厚さの違う紙が入ったりすると、撓んでくるから気をつけないといけない。厚さの違う紙が入っているということをわかって切っていれば問題ないことだけど。ところで、君は部活は何だったの?」
「中学・高校とサッカー部でした」
「ああ、それなら練習や試合前にはライン引きをよくやったでしょう」
「下級生のときは毎日でした。まっすぐ早く引かないと怒られるんです」
「大変だよね。まっすぐ引くためになにか工夫したことあるの?」
「ポイントが打ってあったのでそれを目印に引いてましたが、特にはしませんでした」

「僕は高校の時は野球部だったので、やはり下級生はライン引きだった。どうしてもうまく引けないときに、先輩が遠くの方に目印を決めて、それを見つめながら引くとまっすぐに引けるよと教えてくれた。
半信半疑でやってみたよ。三塁側は外野の向こうの校舎の四階の窓枠を目印にした。驚くほどまっすぐに引けた。一塁側はプールの向こうの山の木を目印にした。以来ライン引きは苦ではなくなった」 
 わたしは先生がなんでこんな話をするのかわからなかった。
「紙の裁断でも同じようなことが言えると思うんだ」と言ってテーブルの上のお皿をちょっと脇に置いて人差し指で直線を引いた。

「例えば、点Aから点Bまで裁断するとき、その部分だけカッターを走らせてはいけないんだ。点Aのちょっと向こうからカッターをおろして、点Bで止めないで、もう少しこちらのほうまで引かないと直線で切れないと思うんだ。実際にはそういうことが無理な場合でもそういう気分でカットしたほうがいいと思う。それってライン引きの要領だと同じではないかな」
 長く引き留めちゃったねと言いながら先生はテーブルの隅にあったレシートを手した。
「10月に入ったらそろそろ来年度の手帳を作らないといけないね」
 私は遠くを見るというのはそういうことなのかと思いを巡らしていたので上の空で返事をしていた。
by hontokami | 2012-10-02 22:02 | 『本を作る』 | Comments(2)

思い出すことといったら些細な事ばかり