あの辺りに克明館があった
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 『こころ』の先生が奥さんに「お嬢さんをください」と告白してから、部屋にいたたまれずに飛びだして、
 坂の多い神田・本郷界隈をやみくみに歩きまわる。神保町を過ぎて小川町から「万世橋」を渡って本郷台に向かう坂道を登っていく。

 そいうえば、浜松には「万年橋」があるとふと思いだした。
 その橋の命名者、幕末の浜松藩校・克明館の漢学者名倉予何人のことも思いだした。

 幕末、浜松の高町に克明館という藩校があった。最後の藩主井上正直のときだ。この学校は武士の子息のみならず、
 農民や町人にも門戸を開いた。
 そこで漢学や兵学を教えたのが浜松藩士名倉松窓こと予何人である。
 その後藩主井上正直が幕府の老中として外圧の国難に奔走することになり、
 名倉はその藩主にしたがって江戸に出て、数度に渡る中国への渡航。
 さらには30数名の若き武士とともに幕府の使節団としてフランスに渡り、ピラミッドをみた。

c0193528_10291798.jpg 戊辰戦争では官軍側に立ち、甲府鎮護にあたり新政府のメンバーに加わった。
 国論が脱亜入欧に突き進んでいく中で名倉は「清國と平等な条約を結び、
 お互いに手を携えて西欧の勢力をアジアからしめだそう」と主張、
 明治3年、日清修交条約の実現に貢献した。
 しかし清国にも外敵を排除する力はなく、
 日本は怒濤のような西欧化への流れの中で
 「清国と相携えて」という名倉の夢は閉ざされ、
 新政府からはずされていった。

 67歳の頃かつての盟友、李鴻章からの依頼で数年、台湾に滞在し、
 井戸を掘ったり、漢学を教えたりしていた。それも政変で帰国。

 晩年は下谷根岸の里に「囲碁指南」の看板を出して、侘び住まいの日々を送った。
 かつて使節団としてともにフランスに渡った三宅秀貴族院議員が根岸のボロ長屋を訪れた。
 酒を飲んでいた名倉の周りには書き散らした膨大な紙片(メモ)があった。
 その一枚を三宅の前に置いた。






   大風吹起遠征春
   根岸移居避世塵
   野老不知軍国事
   一瓢盛酒待花辰

  (もう国の行く末のことについてはなにも興味はない。酒を飲みながら、
   いつか素晴らしい日がやってくるのを待つのみである)
   2人は涙を流して別れを惜しんだ。

   明治34年の冬1月末、ひとり静かにこの世を去った。東京橋場の保元寺に葬られた。


c0193528_10281122.jpg名倉には膨大なメモが遺されたという。
名倉は毎日メモ帳を持ち歩き、見聞したこと、思い浮かんだこと、人に聞いたこと、はなしたこと、
なんでもすぐにメモした。 
当時のことだから、和紙に筆だろう。それら常に持ち歩くにはかなりの工夫があったと思われる。

名倉は、フランスに渡ったとき、言葉も通じない外国人に歩み寄っては、メモを取り出して、書き取っていたという。物怖じしない、進取の気風、しかし筋は通すという頑固者


追加1
彼が使っていた「メモ帳」の現物をみてみたい。

追加2
 「こころ」の先生が渡ったのは万世橋
 浜松クリエートのそばにあるのは万年橋
 信州飯田にも「永代橋」がある。そこは都鄙の境でもあった。


# by hontokami | 2018-06-20 06:23 | Comments(3)

O塾の予定

6月26日(火) スケッチ帳づくり  13:30~16:00
         たくさん作りたいと思っています。



# by hontokami | 2018-06-19 23:22 | Comments(0)

長ナスとピーマン

今日の収穫です。


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# by hontokami | 2018-06-18 23:17 | Comments(5)

『東京人』7月号

堀江敏幸さんに、「風紋」の主人林聖子さんが太宰治の思い出を語っています。


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# by hontokami | 2018-06-18 23:07 | Comments(2)

好物

漱石と崎陽軒のシュウマイととらやの羊羹

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# by hontokami | 2018-06-18 15:33 | Comments(2)

思い出すことといったら些細な事ばかり