飯田の味(1) お焼き

飯田のなつかしい味 お焼き
昔のこと。
祖母は囲炉裏に厚鍋をかけてよく「お焼き」を作っていた。農作業から帰ってくる家族のために作っていたのだ。終戦直後のある夏の日、私は祖母の目を盗んで、そのおやきを悪ガキたちと一緒になってほとんど食べてしまった。祖母に泣いて怒られ、裏の蔵に一晩中閉じこめられた。蔵の二階の窓から差し込んできた朝日のまぶしさをいまだに覚えている。
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「あのころのお前のいたずらにはホトホト困ったもんだった」と成人になってからも言われ続けた。
 この冬、ある法事で従兄弟たちが集まった。話題はその「お焼き」事件になった。
「おばあまが作ったお焼きは厚焼きだった。とくにカボチャや賽の目に刻んだサツマイモがたっぷり入ったやつはどえれえうまかった。せっかくみんなのために作ったのをおらたちが全部喰っちまったんだから、ひどいことしたもんだ」
「あのころは、おらたちも飢えていたからね」
「何でも喰ったよ。イナゴや蚕のさなぎ、ザザ虫の佃煮・・・」
「ゴトー虫って言ったかなあ、噛み切りの幼虫は炙って食べると甘かった」
「蜂の子は子供たちには食べさせてもらえなかった」
「まゆこ(蚕の成虫である蛾の羽をとって醤油で煮しめたもの)なんてものもあった」
「冬になるとケーモチ(干し柿で剥いた皮を干して鍋で煮たもの)が炬燵の上に置いてあった。そういうものからみれば、お焼きははるかに美味しかった」
 今では伊那谷の珍味として土産物店で売っているしかない当時の食べ物。懐かしく思い出していると本家の従兄が言った。
「俺はお焼きがうまいと思ったことはなかったな。それこそ代用食だった。前の日の夜のおかずの残り物がやたらに入っていたり、半分腐りかけたようなご飯を一度洗って入れたりしてたんだ。砂糖や味噌をつけてなんとかごまかして食べていた」
「刻んだ野沢菜なんかを包んで饅頭みたいにして炭火で焼いたお焼きが北信濃のほうじゃ売れてるみたいだよ」
                         (『奥天竜ろまん紀行巻5』の拙文と写真を転載しました)


by hontokami | 2018-03-15 16:12 | Comments(0)