自由と独立と己れとに充ちた現代(「こころ」)


自分自身痛切に味わった事実、血が熱くなったり、脈が止まったりするほどの事実が畳み込まれている(15)としたら
これは漱石自身のそうした体験(「私の個人主義」)から獲得した自己本位の思想をここで吐露しているのかもしれない。
解釈してみた。なにかしっくりこない。だれか助けてください。夜が明けてきた。前の森で鶯が鳴き出した。
なんか迫ってないなーと鳴いている。もっと自然に、と鳴いている。
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かつては其人の膝の前にひざまづいたといふ記憶が今度はその人の頭に足を載せさせやうとするのです。
私は未来に侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思ふのです。
私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。
自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は其犠牲としてみんな淋しみを味はわなくてはならないでせう。
                                                  「こころ」14
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Kにひざまづいてまでして、「自分自身の向上のために一緒に住んでくれ」とお願いしたのに、そんなに懇願してまで来てもらったのに、
こんどはそんなKとの友情を裏切って、お嬢さんをもらうために卑怯なやりかたをしてしまった。
父に恩義をもって接していた叔父だってが父が亡くなると、てのひらを返したように父を裏切って財産を奪ってしまった。
これが人間の常なんだ。
だからいま私を信用しようとしているあなただって、いつかそのことを後悔し私の頭に足を載せて侮辱するにちがいないのだ。

わたしは
将来にやって来るであろうおおきな孤独感に堪えるためにも今のだれからも忘れ去られたように
ひっそり淋しく生きている自分を我慢しなくてはいけない。

そんな私を信用してはいけません。

そういう時代になったのだ。人は生まれてきたからには、自己実現のなにかしなくてはいけない。そういう権利に目ざめた。
家や地域社会の束縛から解き放たれて自由に生きていっていいのだ。
だがその代償として、酬いとして、孤立感、孤独感という淋しさを味わうことを覚悟しなくてはならない。




by hontokami | 2018-05-26 05:24 | こころ | Comments(0)

思い出すことといったら些細な事ばかり