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先生の奥さんが作ってくれるアイスクリーム。なぜか強烈な印象を与えている・
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飯めしになった時、奥さんは傍に坐っている下女を次へ立たせて、自分で給仕の役をつとめた。
これが表立たない客に対する先生の家の仕来りらしかった。始めの一、二回は私も窮屈を感じたが、
度数の重なるにつけ、茶碗を奥さんの前へ出すのが、何でもなくなった。
「お茶? ご飯はん? ずいぶんよく食べるのね」
 奥さんの方でも思い切って遠慮のない事をいうことがあった。
 しかしその日は、時候が時候なので、そんなに調戯れるほど食欲が進まなかった。
「もうおしまい。あなた近頃大変小食になったのね」
「小食になったんじゃありません。暑いんで食われないんです」
 奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせた。
「これは宅で拵えたのよ」
 用のない奥さんには、手製のアイスクリームを客に振舞うだけの余裕があると見えた。私はそれを二杯更えてもらった。
                                               『こころ』上
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by hontokami | 2018-09-21 18:20 | 漱石の食 | Comments(0)

栗と漱石(2) 栗ご飯

今朝も散歩に出ると
大きな栗の木の下で栗を拾っている人がいた。


大食いを上座にして飯黄なり
                     
                     雪の夜や佐野にて喰ひし栗の飯

                     行年を妻炊ぎけり栗の飯

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by hontokami | 2018-09-20 18:42 | 漱石の食 | Comments(0)

栗と漱石(1)

けさ、散歩の途中で栗を拾った。
漱石のことを思った。
漱石は栗と柿には目がなかった。

就中うましと思う栗と柿

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by hontokami | 2018-09-19 08:06 | 漱石の食 | Comments(0)

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忍び込む度が重なるにつけ、探偵をする気はないが自然金田君一家の事情が見たくもない吾輩の眼に映じて
覚えたくもない吾輩の脳裏に印象を留むるに至るのはやむを得ない。鼻子夫人が顔を洗うたんびに念を入れて鼻だけ拭く事や、
富子令嬢が阿倍川餅を無暗に召し上がらるる事や、それから金田君自身が――金田君は妻君に似合わず鼻の低い男である。
単に鼻のみではない、顔全体が低い。小供の時分喧嘩をして、餓鬼大将のために頸筋を捉つらまえられて、
うんと精一杯に土塀へ圧し付けられた時の顔が四十年後の今日まで、因果をなしておりはせぬかと怪しまるるくらい平坦な顔である。
至極穏かで危険のない顔には相違ないが、何となく変化に乏しい。いくら怒っても平らかな顔である。
――その金田君が鮪の刺身を食って自分で自分の禿頭をぴちゃぴちゃ叩たたく事や、それから顔が低いばかりでなく背が低いので、
無暗に高い帽子と高い下駄を穿く事や、それを車夫がおかしがって書生に話す事や、
書生がなるほど君の観察は機敏だと感心する事や、――一々数え切れない。
『吾輩は猫である』ー4ー
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by hontokami | 2018-09-10 15:35 | 漱石の食 | Comments(0)

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瀨下洋子作『伊之助じいさんのミルクセーキ』

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代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。避暑にはまだ間があった。凡ての娯楽には興味を失った。
読書をしても、自己の影を黒い文字の上に認める事が出来なくなった。
落付いて考えれば、考えは蓮の糸を引く如くに出るが、出たものを纏めて見ると、人の恐ろしがるものばかりであった。
仕舞には、斯様に考えなければならない自分が怖くなった。代助は蒼白く見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる為に、
しばらく旅行しようと決心した。始めは父の別荘に行く積りであった。
然し、これは東京から襲われる点に於て、牛込に居ると大した変りはないと思った。
代助は旅行案内を買って来て、自分の行くべき先を調べてみた。が、自分の行くべき先は天下中何処にも無い様な気がした。
しかし、無理にも何処かへ行こうとした。それには、支度を調えるに若はないと極めた。代助は電車に乗って、銀座まで来た。
朗かに風の往来を渡る午後であった。新橋の勧工場を一回りして、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。
その時代助の眼には、向う側の家が、芝居の書割の様に平たく見えた。青い空は、屋根の上にすぐ塗り付けられていた。
                                                「それから」ー12ー
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by hontokami | 2018-09-09 20:03 | 漱石の食 | Comments(0)

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漱石のロンドン留学時代の思い出が『道草』に描かれている。
ここで述べているビスケットはダイジェスティブ・ビスケットといわれるもので、
消化を助けるために開発されたものでほとんど甘味がない。普通はミルクティーに浸して食べるのが英国風の流儀とか。

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その健三には昼食を節約した憐れな経験さえあった。
ある時の彼は表へ出た帰掛けに途中で買ったサンドウィッチを食いながら、広い公園の中を目的もなく歩いた。
斜めに吹きかける雨を片々の手に持った傘で防けつつ、片々の手で薄く切った肉と麺麭(パン)を何度にも頬張るのが非常に苦しかった。
彼は幾たびか其所にあるベンチへ腰を卸そうとしては躊躇した。ベンチは雨のために悉く濡れていたのである。
 ある時の彼は町で買って来たビスケットの缶を午になると開いた。
そうして湯も水も呑のまずに、硬くて脆いものをぼりぼり噛み摧だいては、生唾の力で無理に嚥み下くだした。
 ある時の彼はまた馭者や労働者と一所に如何がわしい一膳飯屋で形ばかりの食事を済ました。
其所の腰掛の後部は高い屏風のように切立っているので、普通の食堂の如く、広い室を一目に見渡す事は出来なかったが、
自分と一列に並んでいるものの顔だけは自由に眺められた。それは皆な何時湯に入ったか分らない顔であった。
                                                       『道草』ー59ー 
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by hontokami | 2018-09-08 13:23 | 漱石の食 | Comments(0)

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「何と云ったって、忘れたかい」と宗近君も下向きになって燐寸を擦る。刹那に藤尾の眸は宗近君の額を射た。宗近君は知らない。
啣えた巻煙草に火を移して顔を真向に起した時、稲妻はすでに消えていた。
「あら妙だわね。二人して……何を云っていらっしゃるの」と糸子が聞く。
「ハハハハ面白い事があるんだよ。糸公……」と云い掛けた時紅茶と西洋菓子が来る。
「いやあ亡国の菓子が来た」
「亡国の菓子とは何だい」と甲野さんは茶碗を引き寄せる。
「亡国の菓子さハハハハ。糸公知ってるだろう亡国の菓子の由緒を」と云いながら角砂糖を茶碗の中へ抛り込む。
蟹の眼のような泡が幽かな音を立てて浮き上がる。
「そんな事知らないわ」と糸子は匙でぐるぐる攪き廻している。
「そら阿爺っさんが云ったじゃないか。書生が西洋菓子なんぞを食うようじゃ日本も駄目だって」
「ホホホホそんな事をおっしゃるもんですか」
「云わない? 御前よっぽど物覚がわるいね。そらこの間甲野さんや何かと晩飯を食った時、そう云ったじゃないか」
「そうじゃないわ。書生の癖に西洋菓子なんぞ食うのはのらくらものだっておっしゃったんでしょう」
「はああ、そうか。亡国の菓子じゃなかったかね。とにかく阿爺は西洋菓子が嫌きらいだよ。柿羊羹か味噌松風、妙なものばかり珍重したがる。
藤尾さんのようなハイカラの傍そばへ持って行くとすぐ軽蔑されてしまう」
「そう阿爺さまの悪口をおっしゃらなくってもいいわ。兄さんだって、もう書生じゃないから西洋菓子を食べたって大丈夫ですよ」
「もう叱られる気遣いはないか。それじゃ一つやるかな。糸公も一つ御上おあがり。どうだい藤尾さん一つ。
――しかしなんだね。阿爺さんのような人はこれから日本にだんだん少なくなるね。惜しいもんだ」とチョコレートを塗った卵糖(カステラ)を口いっぱいに頬張る。
「ホホホホ一人で饒舌しゃべって……」と藤尾の方を見る。藤尾は応じない。
「藤尾は何も食わないのか」と甲野さんは茶碗を口へ付けながら聞く。
「たくさん」と云ったぎりである。
 甲野さんは静かに茶碗を卸ろして、首を心持藤尾の方へ向け直した。藤尾は来たなと思いながら、瞬せず窓を通して映うつる、
イルミネーションの片割を専念に見ている。兄の首はしだいに故もとの位地に帰る。
 四人が席を立った時、藤尾は傍目も触らず、ただ正面を見たなりで、女王の人形が歩を移すがごとく昂然として入口まで出る。
「もう小野は帰ったよ、藤尾さん」と宗近君は洒落に女の肩を敲く。藤尾の胸は紅茶で焼ける。
「驚くうちは楽みがある。女は仕合せなものだ」と再び人込みへ出た時、何を思ったか甲野さんは復た前言を繰り返した。
 驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ! 家へ帰って寝床へ這入るまで藤尾の耳にこの二句が嘲りの鈴のごとく鳴った。
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by hontokami | 2018-09-07 17:21 | 漱石の食 | Comments(0)

「坊っちゃん」と団子

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この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、
料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓がある。
おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがにちょっと食ってみた。
今度は生徒にも逢わなかったから、も知るまいと思って、翌日学校へ行って、
一時間目の教場へはいると団子二七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭った。
どうも厄介な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。
                                      「坊っちゃん」-三-
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by hontokami | 2018-09-07 16:31 | 漱石の食 | Comments(0)

ちいさいころ、誰かさんの家に遊びにいくと、必ずおみやげとして小さな包みに砂糖を入れてくれた。
それがとてもうれしかった。
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四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対い合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭(パン)の幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺が卓の上に置かれて匙さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少しばらく両人は睨み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間まに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人の皿には山盛の砂糖が堆たかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼を擦りながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優まさっているかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞めてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃の上から黙って見物していた。

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by hontokami | 2018-09-07 13:35 | 漱石の食 | Comments(0)


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台所へ廻って見る。
 今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着している。白状するが餅というものは今まで一辺も口に入れた事がない。
見るとうまそうにもあるし、また少しは気味がわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉を掻き寄せる。
爪を見ると餅の上皮が引き掛ってねばねばする。嗅いで見ると釜の底の飯を御櫃へ移す時のような香いがする。
食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。御三は暮も春も同じような顔をして羽根をついている。
小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。食うとすれば今だ。
もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那に猫ながら一の真理を感得した。
「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。
否椀底の様子を熟視すればするほど気味が悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、
奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気もなく椀を見棄てたろう、
しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくらちゅうちょしていても誰も来ない。
早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中を覗のぞき込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。
やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。
最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸ばかり食い込んだ。
このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら噛み切れる訳だが、驚いた! 
もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一辺ぺん噛み直そうとすると動きがとれない。
餅は魔物だなと疳づいた時はすでに遅かった。
沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮るたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。
歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。
美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。
この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方のつく期はあるまいと思われた。
この煩悶の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」
真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているので毫も愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないと御三が来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳かけ出して来るに相違ない。煩悶の極尻尾をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、
耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾しっぽは餅と何等の関係もない。
要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。
ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲を撫なで廻す。
撫なでたくらいで割り切れる訳のものではない。今度は左ひだりの方を伸のばして口を中心として急劇に円を劃くして見る。
そんな呪いで魔は落ちない。辛防が肝心だと思って左右交わる交わるに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。
ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。
猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ掻き廻す。
前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、
一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起たっていられたものだと思う。
第三の真理が驀地に現前する。「危きに臨めば平常なし能あたわざるところのものを為し能う。之これを天祐という」
幸に天祐を享けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合いである。
ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起となって台所をかけ廻る。足音はだんだん近付いてくる。
ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。
この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ち遣やって勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。
細君は縮緬の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。
面白い面白いと云うのは小供ばかりである。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、
踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。
ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので
狂瀾を既倒に何とかするという勢でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行も大分見聞したが、この時ほど恨めしく感じた事はなかった。
ついに天祐もどっかへ消え失うせて、在来の通り四這いになって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。
さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。
御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。
「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧りみる。
御三おさんは御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。
寒月君じゃないが前歯みんな折れるかと思った。
どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情なさけ容赦もなく引張るのだからたまらない。
吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、
家人はすでに奥座敷へ這入はいってしまっておった。
                     「吾輩は猫である」-2-
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by hontokami | 2018-09-07 10:56 | 漱石の食 | Comments(0)